稀勢の里は自身の性格を「不器用」「神経質」と評する。
18歳3カ月での新入幕は貴花田(のち横綱貴乃花)に次ぐスピード出世。
そんな逸材が、不器用なりに粘り強く歩んで大願成就。
長い足踏みを経て初賜杯を抱き、横綱昇進も確実にした。
30歳で綱をたぐり寄せたのは、元隆の里の先代師匠と同じ。
15歳で入門して以来、その恩師に言葉遣いや食事の取り方など、力士の素養をたたき込まれた。
「忘れることはない。本当にたくさん。
一つ一つ実行することが一番」
2011年11月に急逝した先代は生前、まな弟子を叱咤(しった)し続けた。
「もっと泥臭く雑草魂で。
目先の一勝でなく人生一生の勝利を」。
土俵の外では「謙虚さが美徳。
分析力と自分を鼓舞する力が必要」と心の成長を求めた。
苦い経験を一つずつ力に変えながら、教えに応えた。
12年夏場所では11日目を終えて2差リードの単独首位に立ちながら失速。
初の綱とりに失敗した13年名古屋場所後には「見たことがないくらい記者がいて、自然と(余分な)力が入った。
力み過ぎ」と漏らした。
右足を痛めた14年初場所は初めて休場。
綱とりのはずが、かど番へ転落の屈辱を味わった。
「(横綱昇進の)夢は若手に託す。自分は幕内在位100場所を目指す」と弱気になる日もあった。
それでも勇気を取り戻し、「常に上を目指している。
挑戦する気持ちは変わらない」と再起した。
初賜杯獲得で他の3大関に先を越されたのも転機の一つ。
その悔しさから、闘志の火が燃え上がった。
「まだまだ自分も間違っていないという気持ちで、一生懸命にやるしかない」。
ウオーキングを取り入れ、四股の形を改善して下半身を鍛錬。
内臓への負担を考慮して節制にも努めた。
重圧に弱いとの指摘も受けた。
大一番を前にすると、まばたきが突然、増えたが、昨年あたりからはほほ笑むように口角を上げたり、穏やかな表情を浮かべたりして試行錯誤。
「結果を残してこそ、あのときがあったからと言える。
そうでなければ、ただの過去。
夢は見るものじゃない。
一番上での景色を見てみたい」。
試練を乗り越え、破顔一笑する日が訪れた。
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